2018年5月に2日間の日程で鹿児島市で行われた第34回腎移植・血管外科研究会にて、腎移植に関わるテーマで興味深い講演がございましたのでレポート致します。発表内容は聴講した内容を記載しておりますので、発表者の趣旨と異なる可能性があります。毎度ながらご了承ください。

研究会初日、「腎移植3000例のための方法論」と題してシンポジウム2が開催されました。
後藤憲彦先生(名古屋第二赤十字病院)と荒木元朗先生(岡山大学)の司会で、改正臓器移植法施行後も増加の兆しが見えない腎移植の現状を踏まえ、年間移植数を倍増させる具体策について検討されました。
「腎移植3000例のための方法論」<前編>はこちらから。


第34回腎移植・血管外科研究会 シンポジウム2
「腎移植3000例のための方法論」
座長:後藤憲彦先生(名古屋第二赤十字病院)、荒木元朗先生(岡山大学)

「何故、奄美大島で日本初の脳死下臓器提供が可能になったか?」
服部淳一先生(鹿児島県立大島病院 救命救急センター)

離島の救命救急センターから脳死下臓器提供を実現した麻酔科の服部先生が、「都会はまだまだできる」という副題で、臓器提供に至るプロセスには何が必要であったかを具体的な事例をもとに解説されました。

服部先生はボランティアで行かれた東南アジアでの手術麻酔の研修中に、一般手術と同列で当然の医療として行われている臓器提供・移植手術を目の当たりにし、2008年に奄美大島で救急救命センターを立ち上げた後に、臓器移植コーディネーターや臓器提供シミュレーション、病院施設内の臓器提供システムの構築を行いました。
病院経営や人材確保、定期的に入れ替わる病院のスタッフへの教育を熱心に行い、地道な活動を続け、昨年、離島からは初となる脳死下臓器提供を管理されました。
シンポジウムで、脳死下臓器提供が進まない要因の一つには、国民の移植医療や臓器提供への理解・信頼が足りないのでは、という意見がありましたが、服部先生は逆に、日本の国民の信頼はそれほど悪くないと感じておられるようです。
奄美群島は、広域医療圏としてはドクターヘリの運行範囲が九州本土よりも広く、かつ人口も医療従事者も少ないというへき地・離島医療の地域になりますが、そこで脳死下臓器提供という事例を検討することが、日本全体の臓器提供に結びつくヒントになるのではないかと考えられます。


「アメリカにおける腎移植・臓器提供の実際」
山永成美先生(熊本赤十字病院)

山永先生は移植外科医で、多臓器提供・脳死移植の臨床を学ぶためにUCSF(University of California, San Francisco)で臨床研修を行なって帰国されました。2年間の留学中に100例近くに及ぶ多臓器摘出手術に参加し、腎臓の分配システムや臓器配分ネットワークについて学ばれ、教科書には書かれていない臨床現場の話題を多数ご紹介されました。
サンフランシスコでは腎臓は良好な状態で摘出・移植に用いられるように様々な工夫がなされています。それでも一部、低血圧状態が長くなるなど、日本における心停止下の提供腎のように、残念ながら良好な状態といえない腎臓が提供されることもあります。
これらの腎臓の状態について、KDPI(Kidney Donor Profile Index)という様々な項目から腎臓の状態を判定するスコアがあり、その点数が悪い場合が提供全体の15~20%あり、移植には用いられず破棄されるそうです。また、そのKDPIスコアがとても良い腎臓は、移植後も長期間の生着期間が期待できるため、生命予後が短い高齢者よりも、若年者へ移植される、といったルールがあるそうです。その他、サンフランシスコでは平均4年の待機期間で腎臓が配分され献腎移植を受けることができますが、日本には無いシステムとして、過去に生体腎移植ドナーとなって腎臓を提供したことがある場合、腎不全に陥って登録をすると、この4年待機分の優先点数をもらえるため、生体腎ドナーはほぼ待機時間なく移植できるという仕組みがあるそうです。
一方で、日本では献腎移植は血液型完全一致で行われるのに対して、米国では血液型不一致の場合でも不適合とならない組み合わせ(例えばO型からA、B型とか、A型からAB型など)の場合、HLA適合度が良ければ献腎移植は行われます。そのため、O型の腎臓は全ての血液型に配分されることになり、O型の待機患者さんは他の血液型に比べて移植を受ける機会が少なくなる、といったことが起こってしまうそうです。
いずれにしても、サンフランシスコでは、日本と比較して臓器提供が100倍多く、腎移植は10倍多く行われており、それを可能にする効率的な臓器提供・ネットワーク運営がなされています。多くのスタッフを抱える臓器移植管理センターが何カ所もあり、臓器提供という行為が無償の慈善事業として広く受け入れられています。山永先生は実際に働いてみて、臓器摘出医はリスペクトされていると感じたそうです。
それを表すエピソードとして、小型ジェット機で臨時の臓器提供に出動した際、仕事の前後で支給されるランチボックスやピザの配達をする人たちが、配達している食事が臓器摘出医のためのものであることを知っており、ピザの箱に「Gift of Life」と書いてくれていたり、直接激励の言葉をかけてくれたりすることが多かったそうです。着の身着のままでジェット機に乗り込んで移動する姿は、日本の臓器摘出医の姿(スーツをはじめとする正装を義務化され、公の場ではあまり表に出ることのない)とは違うようです。
また、臓器摘出医の負担を軽くするための様々な工夫がされており、実際に脳死臓器提供を行う手術時間は1~2時間で、数名の外科医と事務職員で済むということです。1回の提供に丸2日間以上を費やし、臓器ごとに数名、合計で20~30名が集まって行う日本の脳死臓器提供とは全く別の世界だと感じました。多臓器提供を行う場所がなければ、ドナーを空いている病院(日帰り手術センターなど)の手術室へ移動させて夕方に摘出を行うなどの対応もしており、脳死ドナーの移送が行われない日本の不自由さが、臓器提供増加を阻む要因ではないかと論じていました。
臓器摘出は、リタイヤした外科医や外国の医師たちが担っており、日本のように移植医が全てを行うシステムとは違うため、日本にもそのような臓器摘出医の創出、米国式臓器提供システムの導入、臓器移植管理センターの配備、生体を含めたドナーの基準や配分方法の作成を、上記のような柔軟な運用で進めることが必要だということでした。

次回、「腎移植3000例のための方法論」<後編>をお届けします。